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■イラクからのメール(日本語版)~The English text site is linked below.
by iraq-mail-j
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■ Iraq Mail ■ ~English


●「これ以上の殺戮をどうかやめてください」署名サイト(English)

●署名サイト(日本語解説)


05年1月23日
ヨルダンからの国境を越えた直後に何が起きるかわからない…


05年1月24日
米軍の装甲車がケガ人を踏み潰した…


05年1月26日
真夜中に起きている者は戦闘員と密会合すると疑っている…


05年1月27日
選択肢は3つ。“悪い”、“より悪化”、もしくは“死”だ。しかし…


05年1月28日
誰もが選挙のことより自分の家族の命のことを心配していた…


05年1月29日
戦車が、通りにある駐車中の車を次から次へと潰していく…


05年1月30日
戦う両者が、報復する権利を主張する…報復という負の連鎖


05年1月31日
イラク人の30%が投票には行けなかった…


05年2月1日・5日
この状況の中で強くいられるのは平和を愛しているからだ…


平和を愛する米国市民の皆様へ

05年10月4日
15日の国民投票日まであと10日間…


05年10月5日
「本当の民主主義」を求める「本当の試み」が行われようと…


05年10月6日
彼らは平和的手段ではなく力づくでアメリカ人と友人になれと言う…


05年10月7日
「レジスタンス(抵抗勢力)になる」という人達の気持ち


05年10月8日
奴らは俺の家族を傷つけたし、俺の人生をメチャクチャにした…


05年10月8日(続)
なぜ、アメリカはボクたちを殺そうとするの?


05年10月9日
アイーア~奇跡という名の赤ん坊~


05年10月10日
世界は平和的手段を無視し、武装勢力にさらなる兵力を供給している


05年10月11日
ヘリコプターはもの凄いスピードと轟音で飛び回り…


05年10月12日
憲法を読んだことがありますか?


05年10月13日
米軍戦車が町中で動き回っている…


05年12月7日
勇気ある親友の死・子どもたちと米兵


06年4月22日
『平和を愛する人々への手紙』


06年4月30日
『平和を愛する人々への手紙』(続)


06年5月7日
より多くの破壊と犠牲は、さらなる戦いを生む


06年5月8日
2ヶ月前、7歳の少年は通学途中で狙撃兵に殺された…


06年5月10日
弾丸が子ども部屋に飛び込み、僕と兄は階段を駆け上がった…


06年5月11日・12日 
深夜の家宅捜索


06年5月13日
深夜3時10分、米兵は門を壊し、僕の家を占拠した…


06年5月13日(後半)
我が家が狙撃兵の基地になるなんて…


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米軍の装甲車がケガ人を踏み潰した…

2005年1月24日
 深夜の2時25分、僕らは国境にたどり着いた。辺りはとても穏やかな雰囲気で何の
問題もなく、ヨルダンを出国するのにたった20分しかかからなかった。

 次はイラク入国だ。およそ100台の車が国境が開くのを待っていた。国境は米軍に
閉鎖されていて、イラクに入るなら朝8時まで待てと言われた。凍えるような冷たい風
が吹いていたけれど、仕方がない。僕らは車の中で待つことにした。僕らはみな眠る
よう努力した。いつの間にか眠りに落ちていたが、あまりの寒さに目が覚めたら
ちょうど2時間が経っていた。僕はドライバーを起こし、寒すぎるからエアコンを入れて
くれと頼んだ。それからはもう眠れなかった。僕らはただ黙って目を瞑っていただけ
だった。
 8時半になってようやく米軍が国境を開けた。車がイラク側に連なっていた。僕らの
車は国境を越えるのに2時間もかかってしまった。

 いよいよ僕らの車は、長く、ドキドキする、危険な、死のハイウェイを疾走し始めた
のだ!砂嵐が舞い上がり、移動することは危険そのものだった……。僕はたくさんの
焼け焦げた車を見てしまった。彼らはハイウェイ脇に車を止めていたところを米軍に
撃たれてしまったのだ……。だから僕らはどんなに砂嵐がひどくても車を止めることが
できなかった…。止めれば、疑われるからだ。ドライバーは走り続けるしかなかったの
だ!砂嵐のせいで、視界は悪く10メートル先までしか見えない。車のスピードは時速
50キロだった。
 4時間後(国境から約200キロの地点)、突然、僕らは1台の車を発見した。
そして大勢の人たちが何やらその車の中にいる家族を助けようとしていた。その車は、
砂嵐の中をゆっくりとしたスピードでハイウェイを走っているところを米軍の戦車に
射撃を加えられたらしい。そのドライバーは砂嵐で視界が悪かったため、米軍の後ろを
走っていることに気づかなかったのだ。ところが、戦車の方は、視界が悪くても距離が
離れていてもいろんな道具を使えば見えるというわけだ。けれど、米軍の戦車は警告を
発することもせず、その車両を攻撃したのだ。結局3人が死んで、2人がケガをした。
彼らはバグダッドからの家族だった。死者の一人は17歳の女の子で、彼女は頭を
撃たれていた。何人かがケガ人を国境(200キロ地点)に近いクリニックに連れて
いった。

 僕らのドライバーは気が動転してしまったようで、泣いたり叫んだり、完全に自分を
見失っていた。僕はドライバーを車に乗せて、彼の代わりに運転することにした。
誰もが今目撃したことを考え続け、黙り込んでしまっていた。そして、それは数秒後に
自分たちの身に十分起こり得ることだった!
 乗客の一人が僕の運転を非常に心配していた。僕がこの辺りの道を全然知らないと
思っているらしく、「この道は安全か?本当か?気をつけてくれ!」とやたらに聞いて
きた。「信用してくれ。生き残る道は承知している」と僕は答えた。しばらくして、僕は
乗客全員に言った。「より安全な迂回路、つまり“米軍がいない道”を通るけど、
いいね?」全員が僕の提案に同意してくれた。僕はより安全な古いハイウェイを通った。
 午後3時45分、僕らはラマディのチェックポイントにさしかかった。そこには
たくさんの戦車と米兵がいた……。数人の地元の人たちが僕らを止めて、このチェック
ポイントは避けた方がいいと言ってきた。なんと、15分前に米軍が1台の車を
爆破させたばかりだと言うのだ!僕は車を引き返し、農道を通ってラマディに
入ることにした。農道はひどい道だった。せまくて、泥でぬかるんでいた。
それでも、なんとかラマディに通じる西の橋までたどり着くことができた。

 市場の通りでは激しい戦闘があったらしく、10台もの焼け焦げた車があり、建物は
ことごとく破壊されていた。誰もがその光景にショックを受けた。空っぽになった通りに
突然、銃声と爆発の音が轟いた。僕は車を止めて降りた。ドライバーに他の乗客を
連れて町の西側に逃げるように言った。僕はせまい小路を走り抜けて自宅までの
安全な道を探した。けれど、戦闘は僕の家の周りで起きていた。たくさんの戦闘員が
ケガをしていたり、あるいは死んでいた。たくさんの民間人も米軍の狙撃兵に
撃たれていた……。
 僕は、ケガをした人の誰かが「助けて…助けて…」と叫んでいる声を聞いた。
彼は通りの端っこにいて、ケガをした体をひきずって身を隠そうとしていた……。
僕は彼を助けようと思った。しかし、米軍の装甲車は僕に向かって射撃を始め、
ケガをした彼の方に向かっていったかと思うと、その彼を踏み潰した……。
なんてヒドイ……。彼は踏み潰された……。彼はケガをしていたのに……。しばらく
して、他の戦闘員がやって来て米軍の装甲車と米兵に向かって攻撃し始めた。
すると突然、目の前に1台の普通車が現れて、車に乗れと僕に言った……。
僕は言われるまま車に乗り込んだ。彼らは僕を安全な通りまで連れていってくれた。
そのうちの一人が「なんであんな所にいたんだ?死にたいのか?気をつけて隠れて
いないと米軍に殺されるぞ!」と言ってきた。僕は目の前で装甲車がケガ人を踏み
潰したのを見てショックを受けていたことを彼らに伝えた。「気をつけろよ」彼らは
僕にそう言った。

 僕は命を助けてくれた彼らに礼を言い、それから「戦闘中なのに、あなたたちは
何をしているんですか?」と聞いた。45歳くらいの男性が答えた。「戦闘中、私と
息子2人でケガ人の救助にあたっていたんだ。民間人には危険な通りは避けるよう
に警告したりね。そこで、君が戦闘地域に走っていくのを見つけたというわけさ。
けれど、君を止めることができなかったから後を追いかけてきて君を拾ったんだ」
僕はもう一度礼を言い、彼らは行ってしまった。
 彼らは車の中に銃を持っていたから、僕はてっきり戦闘員なのかと思っていた。
でも、彼らは戦っているのではなかった。僕や他の人々を助けていたのだ。
なぜなら、救急車がケガ人を運ぶことを許されていないからだ。彼らは命がけで
人々を助けていたんだ。

 やっと自分の家にたどり着いた。僕は家族全員が無事であることを確かめたが、
新たな弾痕が家に残されていた。とにかく、僕はもうその日1日はおとなしく家の
中にいることに決めた。
# by iraq-mail-j | 2005-01-24 00:00